亜弥の覚悟とヲタ(バカ)の壁(Re:レスれす (ケロッグ)【その2】)

2005年までの亜弥って成長や進化という言葉を嫌っていたような感じがするし、およそ節目と呼ばれる転機に対して突っ慳貪だったような気もするんですけど、今年になって初めてそれらを受け入れる覚悟ができて実行したような気もします。

二十歳の決意、ってやつですかね。
というか、もしかしたらそこまで敢えて「待った」のかもしれませんね、ほんとうになりたい自分を目指す旅を始める事を。中途半端な時点で始めてしまって、力不足(準備不足)で目的を完遂できないとすれば、それはそれで悲劇ですからね。

なのに、ようやく始まった長い旅のとば口で、それまで<アイドル>を演ずる事に耐えてきた身体の、その疲労の蓄積が、よりによって<歌い手>でありたいと思う彼女にとって一番致命傷になりかねない病気となって顕れたというのは、神様も実に意地悪というか、何というか。

なので、相模大野公演中止の直後発表された「こんな私ですが応援し支えていただけるとうれしく思います」って公式コメントは、すごく深読みしてじ〜んとしちゃいました。

まあ、忸怩たる部分はあるでしょうな。
とはいえ、今さら始めてしまった(そして、その決意を支持する一定のファンベースを得た)ものをやめられる訳がない。顎の調子と折り合いを付けつつ、来年も彼女は旅を(戦いを)続ける筈です。というか、そう信じたい。

逆に言えば、所詮今年は過渡期でしかないのですから、その総括である『Naked Songs』が中途半端なものになったとしても、それはそれで仕方がない事だと思います。コンサートの素晴らしさ故にどこか過剰な期待が一部にあったみたいで、糞味噌にけなす意見*1も出ているみたいですが、まあ焦りなさんなって(笑)。

つーかさぁ、そこまで言うんだったら、あんたらが自分でリスクをしょってPとかA&Rをやりなさいな。それが出来るご身分じゃないのに高所からモノを見下ろすような事言うなんて、愚劣かつ無責任もいいところですよ。こういうヲタが取り囲んで壁を作っちゃうから、亜弥の志がその外側にいる普通の(でも真摯で誠実な)音楽の聞き手に伝わらなくなっちゃうんだって。まさに<ヲタの壁>であり<バカの壁>ですな、はぁ(タメイキ)。

まあ、これは別に亜弥に限らず、ハロプロ全体に当てはまる問題ですけど。矢口も加護も村上も*2結局はその壁の中で心も身体もすり減らすうちに、外部の悪意に隙をつかれてしまった…そういう事ですよね。なのにさあ、いつまでも当人やつんく♂や事務所を責め続けて(バカにし続けて)、それで自分たちのした(いや、「しなかった」かな?)事の責任からいつまで逃げ続けてるんじゃないって。

もっとも、私がここまで突き放せるのも、所詮現場には出られないし出ようとしない(またそれ故に自分は「モーヲタ」「ハロヲタ」になれないしならない)人間でしかないから、ですけどね。現場に出すぎるほどに出てきた今年のケロッグさんには、また違う言い分がある事でしょう。それはまたそちらのブログの方でよろしく…って事で(イッパイ期待笑)。

GAM
GAMの評価は全く同じです。
あれはあれで亜弥にとって(そしてミキティにとっても?)良い意味でのガス抜きになったんじゃないかと。

よくものの見えていないヲタが「ソロではあんなに輝いているあややが、どうしてユニットに入るとあんなに地味になっちゃうんだろう?」なんて口にしてるけど、そんなもの答えは単純な話で、最初から今まで一人で戦う事が日常の仕事になっている彼女にとっては、たまのユニット活動ってのはどこまで行っても息抜きや遊びの領域であり、またそうある為にはある程度以上には前に出ず引っ込まなきゃいけないんですよ。
でもまあ、そういう遊びの領域の活動の中でも、結果的に本人たちも楽しく、見る側にもその楽しさが伝わったのがGAMというユニットだった事は間違いないんでしょうね。

*1:「亜弥は素晴らしいがUFWはだめだめ」「いっそハロプロゼティマやめてソニーとかに移籍してくれないかな」等々。

*2:と、敢えてここでは全員名字で呼び捨てます、あしからず。