Kitty !Kitty(not Ready! Lady)

hatena id:hatchman ことハッチマンさんの愛Wiki+「大切な日-愛ドキ」へのトラックバックレスです。
本題は愛ちゅんが某深夜番組で星泉 staring 長澤まさみに対抗して(違うって)「セーラー服と機関銃」をカバーした件についてなのですが、ここではオリジナルの歌い手である薬師丸ひろ子さま(ぽっ)の話をほんのちょこっとなんだけど(C)させてもらおうかと(^^;)。
#一応自分と同じ年齢のアイドルって誰?と尋ねられた時に、自信を持って答えられるんですよね、「女性ならは薬師丸ひろ子、男性なら近藤真彦」って。これはもう、1964(昭和39)年に生まれたものの特権ですな(笑)。

高橋愛子 wrote:

Vocalは正直あと一歩かも。例えるならピッチャーが球を置きにいく感じ?この曲は初めて人前で歌うコが無心で歌うのがいいと思うので「コントロール」がいい今の高橋愛と相性がいいとは言えないでしょう。

hatchman wrote:

当時音痴で鳴らした薬師丸さんの曲ではありますが、それゆえによさもあったり。

当時「合唱部唱法」なんて言われ方をしてましたね。実に言い得て妙な表現だったと思ったのを記憶しております。

ところが、あくまで映画の宣伝の一環としてリリースされた(いわゆる「企画もの」というやつですね。リリース元が映画を角川春樹事務所と共同制作したキティ・フィルムの親会社であったキティ・レコードであった事がそのなによりの証拠です)「セーラー服と機関銃」からさらに約1年半後、大学在学中に今度は映画「探偵物語」と同題の主題歌で東芝EMIから再デビューする事になります。そして、この時に松本隆と出会ってしまった事で、彼女は歌をやめる事が出来なくなってしまう訳です。

そこから、'91年に結婚するまでの数年間、女優業と並行して歌手活動を続ける事になった訳ですが、その間に最初は松本隆の周辺の人々(いわゆるはっぴいえんどYMO人脈ってやつですな)によって、さらに途中からは初期の作品を耳にして彼女の「歌手」としての魅力(主に声)を発見し自分たちも彼女に曲を書いてみたいと思った新しい作家たち*1も加わって、歌手・薬師丸ひろ子の豊かな世界が築き上げられていく事になる訳です。

そして、彼女が結婚相手に選んだ(後に離婚しますけど)のは、そうした歌手・薬師丸ひろ子の世界を作り上げた作家の一人であった玉置浩二。彼と、その率いていたバンドである安全地帯も、そもそもはキティレコードの所属アーティストだった訳でして*2。このあたりの因縁もなかなか興味深いです。

最後にもう一つ、(一見唐突に思えますが)ハロプロに絡んだトリビアを。先ほど、映画の「セーラー服と機関銃」を角川と共同製作したのはキティ・フィルムであると書きました。このキティ・フィルムという会社、現在も存続はしていますが、それは俳優のマネージメント会社としてであって、映画やTV番組の制作部門は今はありません。そして、その今は無くなった制作部門にいたメンバーが独立して興したのがケイファクトリーという会社です。ここは小さいながらも制作部門と俳優マネージメント部門の両方を備えた会社で、所属する俳優を各社の映画・テレビドラマ等に送り込む一方で、主にTBS系の昼帯及び2h単発ものの共同制作作品(作品にまつわる諸権利も局と共同保有が前提)と、NTV系のゴールデンタイムタイムの制作協力作品(番組自体の著作権はNTVが持つ)を手がけているという。

そして、前者(TBS系の昼帯or単発)の最近の代表作は「銭湯の娘!?」、後者(NTV系のゴールデンタイム)の最近の代表作は「ギャルサー」。そう、どっちも我らが矢口真里が絡んでいるんですな。ただし、ハロプロメンバーとの関わり合いはこれが最初ではなくて、それ以前にねーさん(中澤裕子)の初主演ドラマとなった「ほーむめーかー*3があり、これまたTBS系の昼帯*4だという。

*1:具体的には上田知華平松愛理大江千里楠瀬誠志郎・KANといった面々ですね。特に平松愛理が作曲した「平凡」('90年2月リリースのアルバム「LOVER'S CONCERTO」に収録)は平松の歌手デビュー翌年の時点での楽曲提供であり、「部屋とYシャツと私」でブレイクする以前の、まだ知る人ぞ知る存在だった時期に起用されているという。

*2:後に玉置さんお一人が会社上層部やバンドメンバーの反対を押し切って強引にソニーに移籍してしまい、それが遠因で安全地帯は一時活動休止に追い込まれます。

*3:’04年4月最終週〜6月第1週放送。

*4:ただし「銭湯」をやったMBSorCBC制作の「ドラマ30」枠ではなく、その直前にやっているTBS制作の「愛の劇場」枠ですが。