紺野あさ美さん、お誕生日おめでとう(ほんのちょこっとなんだけど(C)脱線あり)

19歳、ですか。

この年齢というか言葉を聞くと、すぐに今から十ン年前に推しだった二人のアイドル歌手…吉田真里子*1と円谷優子*2の同題異曲の事を思い出して(そして、つい聴き返して*3 )しまうのは、私が”冬の時代”からのアイドルポップスファンの生き残りであるが故の悪い癖かもしれません。

真里子の方の「19歳」*4もツブちゃんの方の「19才」(こっちが正確な表記ですね)*5も、曲調こそ正反対ですし、歌詞で使われる手法も異なりますが、しかし共に歌われているのは青春の終わりの時期故の不安と焦燥と、それでも諦めずに前へ進もうとする意志であり、それ故に「青春の伴走者」である聴き手の側にせつない想いを強く抱かせるのです。

そんな、繰り返し歌のモチーフになるくらいに微妙で難しい年齢を迎えてすぐに、モーニング娘。だけではなくハロープロジェクトからも卒業する事を決め、8月からは二重の意味*6で「見えない明日」へと歩み出す、あなたのその強い意志を尊重すると共に、今日のこの日を祝うはなむけの言葉を贈りたいと思います。

紺野あさ美さん、19歳の誕生日おめでとう。これからも、「どんなことがあっても」あなた自身を「失(な)く」すことなく、信じた道を迷わず進んでいって下さい。
 きっと大丈夫だよ、だってあなたの背中には、大切な仲間たちと過ごした日々がくれた、小さくて見えないけど確かな翼があるのだから。だから、ためらう事なく青空へ羽ばたいていけば良いのです。

…まあ、ほんとうなら誕生日のコンサートで卒業(というか、普通の女の子として再誕*7 )出来れば、終わりの形としては非常に美しかったんでしょうけど、さすがにそれじゃあ現場派のヲタが発狂しちゃいますからねぇ(^^;)。取りあえず残り約2ヶ月半、せいぜい最後のファンサービスに全力投球してくださいませ*8。私はちょっと遠くから、その姿を見守り続ける事にします。

*1:彼女は、それまで音源を「買って聴く」だけだった私にとって、初めて「現場で生で見る」事にのめり込んだアイドル歌手でしたし、結果的に個人事務所/インディーズ時代の途中までつかず離れず追いかけ続けた人でした。

*2:あくまで”憂子”ではありません、私にとっての彼女は。確かに改名後のシングルも買ってはいますが。

*3:真里子の方は元々iTunesを導入してすぐに取り込み済みでしたし、ツブちゃんの方は今回CDを棚の奥から引っぱり出して取り込みました。

*4:初出は1990年10月21日発売のシングル「Roman〜ロマン」のC/Wで、作詞・作曲は本人、編曲は今や「踊る大捜査線」のあのテーマ曲ですっかり有名になってしまった(^^;) 松本晃彦。また、後にソニーとの契約終了決定後にリリースされたベスト盤「ブーケ」(リリース日は1991年12月12日)に別バージョンが収録されており、そちらの方の編曲は萩田光男です。

*5:こちらは1989年11月21日発売のシングルの1曲目で、作詞は当時の彼女のプロデューサーであった康珍化。作曲は羽田一郎、編曲は杉山卓夫と当時の武部聡志ハーフトーンミュージック系スタッフで固めた作品です。私が所有しているのは1990年11月21日にリリースされたセカンドアルバム「nineteen,twenty」に収録されたものです。

*6:今さら言うまでもなく、一つは「大検(高校卒業同等資格)取得後の大学進学」という、すぐに実現可能かどうかが不確実な道へ進むという事であり、もう一つはそれが私たちファンの目の届かないところでなされるという事です。

*7:実はこのフレーズを書きたくて、日記のタイトルを「Happy Rebirthday〜」にしてみたんですが、さすがにちょっとわざとらしいかな?(^^;)

*8:まあ、現実にはどれほどの事が出来る/させてもらえるかは分からないというか、正直悲観的にならざるを得ないのですがね、現在の娘。/ハロプロを巡る状況を考えると…。取りあえず娘。の次のシングルに関しては、C/W曲に一縷の望みを託してはいるものの、さほど期待はしておりません。