「アイドルを愛すること」≒「『アイドルを愛する自分』を愛すること」(暫定版)

新古書店&中古ソフト屋めぐりツアー*1からの帰路、某ファーストフード店で一休みしながらこれを書いています。夕食の材料は既に午前中に買ってあるとは言え、あんまり帰りが遅くなると母親がムクれるので*2手短に済ませます。

さて、そろそろこんこん語りの続きを始めなければいけない訳ですが、その前に一つ彼女(とその推し)に限った事ではない一般論として敢えて書いておきたい話があります。そしてこれもまた、常々id:WINSさんと「ほんとそうだねぇ」と認識を共有できている話題であるのですが*3

それは…「アイドルを愛する」という行為には、少なからず「『アイドルを愛する自分』を愛する」要素も含まれているんだ、という事実です。それはもうニアリーイコールと言っても良いほどです。

またそれ故に、清濁併せのめる人って実は案外少ないというか、推しの対象に関してその全てをまるごと無条件に受け入れる事がなかなか出来ない、という側面が少なからずあるのではないかという。要するに、自分が「愛せる」部分しか「愛せない」(なぜなら、自分がそうじゃない部分を「愛する」事でそんな自分を「嫌い」になりたくないから)って事ですね。

そして、推される側としては、やはり出来るだけより多くの人からの支持を得たい訳で、そうした細分化された(あるいは相反する)欲求を振り向けてくる人たちをどれだけ満足させられるか(その為に知恵というか、戦略を巡らせるか)が大切になってくるという。

で、ここまでで述べた様な事を踏まえて、紺野あさ美という存在について(特にグラビア/写真集の被写体として)考えていった時に、id:quedoron6981090:20060503#1146661990で述べた様な属性が彼女にある以上、聖なる(清らかなる)部分だけをより強く希求する人達と、俗なる(性的魅力に溢れた)部分だけをより強く希求する人達とに二極分化していく(そして、その両者の間に静かだが激しい対立/断絶が生じていく)のは、至極当然の話だったんだろうと思う訳です。

[この項については後でもう少し追記or記述を修正するかもしれません。それくらい慎重に語らなければならない問題なので(^^;)。]

*1:父親を軽過ぎる昼食を共にし、なのに少し疲れて休んだ後にまた家を飛び出してしまいました(^^);。成果については後で改めて別記事で書きます。

*2:病気を口実に自分から家事を放棄した癖に、こういうところはしっかり文句を言う人なのでほんと困ったものだと思いますが、まあ老いるというのはそういう事だからしかたないと諦めております。

*3:ただ、私たちがそういう認識を共有出来ているのは、二人とも一個人としてもアイドルファンとしてもそれなりの年齢と経験を重ねているからであって、同じ様な認識を自分たちより下の世代も持つべきである、とは軽はずみには言えない部分もある訳でして。実のところ、ここ二三日筆が進まなかったのは、それ故の事だったりします。やはりイマドキの若い人には「若者」らしくあって欲しいという気持ちもありますからね、一応人生の先輩である立場としては(^^;)。